漫画好きの読書感想文(仮)

読書感想文、書かないと罰金されます。

死んで生きれるか!未完の名作「バチバチ」シリーズ、男達の生き様に痺れろ!

バチバチシリーズ最終章、「鮫島、最後の十五日」。

力士としては不遇である太れないという体質に似合わないブチかましの強さと、命と魂を燃やす相撲をとる主人公、鮫島鯉太郎。

不器用で一途で、誰よりも気高い。

「死んで生きれるか」という強い意志で、バケモノ揃いの土俵に喰らいつく。

土俵で死ぬなら本望で相撲が誰よりも好きで好きでたまらない。

相撲から選ばれてなかったと言われることはあっても、結果を出し続けることで周りを黙らせてきたその強さ。

決して諦めなかったその生き様は何よりも尊い

 

こんばんは、バチバチシリーズのファンです。

佐藤タカヒロ先生の訃報から早2ヶ月。

最新巻である19巻が発売されましたが、最後の十五日までは読み進められないことを思うとどうしても読む手を進められずにいます。

 

 

私がバチバチシリーズと出会ったのは確か8年ほど前で、当時はバチバチシリーズの序章である「バチバチ」が連載されておりました。

当時、連載されていた「みつどもえ」「侵略!イカ娘」「弱虫ペダル」などを楽しみに週刊少年チャンピオンを読んでいたのですが、たまたま目に入った漫画がこのバチバチでした。

 

 

まず相撲の描写がめちゃくちゃ面白い。

立会いの数秒のうちに何をするか、何を読むか、身体が動くままに任せるか。

頭突きによるブチかましや張り手をする押し相撲や、お互いに組み合い投げ飛ばす四つ相撲。

相手が何が得意で、何が苦手か。

主人公の鮫島鯉太郎はソップ(細身の力士)ではありますが、体重以上の強いブチかましが武器で、自分よりも体格のいい力士を次々と倒していきました。

まわし一枚のデブが体当たりをするスポーツだとしか思っていなかった私にとっては衝撃でした。

 

15年ほど前、元横綱曙太郎氏がK1に転向して、大晦日ボブサップに瞬殺された記憶からか、子供の頃から力士=弱いという先入観がありました。

あのうつ伏せに倒れるシーンは紅白歌合戦の視聴率を上回ったとか。

ですが、バチバチを読み、力士の強さ、かっこよさ、生き様を知ってしまうと見方が変わってしまいました。

貴乃花 対 曙 〜永遠のライバル対決〜 1 - YouTube

改めて見ると曙、めちゃくちゃ強くてかっこいいですね。

日本中がフィーバーした若貴ブーム

そのヒールとして立ちはだかった曙。

喧嘩相撲と揶揄されようともツッパリを張りまくる押し相撲は見ていてとても迫力があり、圧倒的な強さがあります。

バチバチシリーズにも数々の因縁が渦巻き、食うか食われるかの真剣勝負が多々あります。

曙や貴乃花のようなライバル同士の勝負、例えば主人公「鮫島」と因縁の同期「王虎」の考え方や相撲に対する接し方は違えど、お互いに認め合う関係。

見るたびにゾクゾクして、涙が出るくらいにかっこいい。

最近は相撲界に暴力や賭博など数々の不祥事が発生してしまいましたが、負けずに変わらず相撲界を盛り上げていただきたいです。

 

 

バチバチシリーズを初めて見たときは確か単行本で言えば8巻くらいで、鯉太郎の兄弟子の吽行さんがめちゃくちゃかっこよかったのを覚えています。

吽行さんは普段は穏やかで優しく、鯉太郎の目標と言える先輩力士でした。

ブチかましと張り手しかできなかった鯉太郎に投げを指導したのも吽行さんです。

ですが、優しいだけではなく、気性が激しく喧嘩っ早い一面もあり、因縁の「大鵠」との立会いではその強さをバチバチに発揮しました。

弱いものいじめが大好きで陰湿な卑劣クサレブタフグ野郎こと大鵠に対して吽行さんが啖呵を切り相撲で決着をつける。

因縁の相手に真っ向から挑み、反則攻撃で怪我をさせられるも、何事もなかったように立ち上がるその姿に鳥肌が立ちました。

その後も怪我を負いながら全勝の竹虎に勝利し、幕下優勝を飾った吽行さん。痺れました。

 

バチバチシリーズには何と言ってもかっこいい男の生き様が存分に描かれています。

力士人生を左右する大怪我を負いながらも、弟弟子にダサい姿は見せられないと気を張り続ける吽行さん。

自分より大きな相手に姑息な手を一切使わず真正面からブチかます鯉太郎。

何より自分の一番好きな相撲に選ばれなかった男達が足掻き続け、神の領域(横綱)に手を伸ばし続ける。

 

好きな相撲をやり続けることで相撲を振り向かせ続けた彼らは高尚すぎて自分は投影できません。

ただただ「死んで生きれるか」という強い言葉が頭の中に響きます。

続きを読むことは叶いませんが、是非とも彼らの生き様を知って欲しい。

そして、一人でも多くの人に「バチバチ」を読んで欲しい。

それが一ファンとして私に唯一できる弔いになることを祈って。