漫画好きの読書感想文(仮)

読書感想文、書かないと罰金されます。

「ジーザス・クライスト=スーパースター」と「駈込み訴え」 感想

こんばんは、劇団四季「四季の会」のメンバーです。

 

今年の3月、気になっていた劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」が全国で公演されるとのことで拝見しました。

今回の記事はその当時のアウトプットになります。

なので現在は公演されてませんので悪しからず。

www.shiki.jp

イエス・キリストが十字架にかけられるまでの最後の7日間を、鮮烈なロックミュージックで綴る本作。キリストを一人の青年として捉え、等身大の青春の中にある苦悩を赤裸々に描いた舞台は、1971年ブロードウェイ、1973年劇団四季での初演当時、社会に大きな衝撃を与えました。
今もなお、世界中でさまざまな演出のもと上演が重ねられ、そのエネルギーは色褪せることがありません。(劇団四季公式より)

 

ざっくり言うと、イエス・キリスト(=ジーザス・クライスト)がイスカリオテのユダに売られて磔にされるまでをイエスとユダの二人を主人公として描いた作品です。

今までユダと言えば裏切り者としてしか印象がありませんでしたが、ジーザス・クライスト=スーパースターで見せられたユダの強い人間らしさ、強い愛、それ故の憎悪、裏切りには涙を隠せませんでした。

自分の利益ではなく、あくまで愛するイエスのために自分の手を汚すことを決意する。

主人をどん底に突き落とすことにより、主人が望む結果を生み出したユダは本当の意味では最高の弟子だったのかもしれません。

あと、磔にされたイエス役の人(半裸)の鼓動がなくなるのが凄すぎる。

演技の良し悪しは分かりませんが、恐ろしいことをやってることはかなり伝わってきます。

プロはやっぱりすごい。

 

キリスト教って宗教でしょ?戦争とかの原因なってるし、現代でも勧誘とかまじでやめて欲しい、と言った理由で避けている人もいらっしゃるかもしれません。

しかし、世界的な宗教で、これだけ長い時間受け入れられてきたものです。

良いか悪いかなんて分かりませんが、これだけ多くの人が心の拠り所にしている物語。

日本人にとって宗教は毛嫌いするものかもしれませんが、世界的に見ると一般常識でもあるので、宗教を勉強することは人間的な成長にも繋がる良いことなんではないでしょうか。

無宗教と言えど、毎年正月に神社に行き、教会で結婚式を挙げ、最期にはお寺で葬式をする。

海外の人から見ると逆に「日本人って宗教行事に熱心だね」とも言われるそうですね。

多様な宗教観を持つ日本人こそ、一つ一つの宗教に対してそれぞれ理解を示すことが大切です。

それも、力のこもった歌とダンス、物語に引き込まれる演技力。

楽しみにながら新しい価値観を得られる観劇というエンターテイメント。

興味があればぜひ劇団四季の劇場で観て欲しいです。

 

 

 

ジーザス・クライスト=スーパースター」のパンフレットに書き出しだけ掲載されていた小説がありました。

 申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、ひどい。酷い。はい。いやな奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。

 この書き出しから始まるのは「人間失格」などで有名な太宰治の「駈込み訴え」です。

太宰治キリスト教関連の小説を書いているとは知らなかったので衝撃を受け、その日に青空文庫で読破してしまいました。

内容はユダがキリストを役人に売る様子をユダのセリフだけで表してる感じです。

文字が苦手な方はYouTubeで面白い朗読劇を見つけたので合わせてどうぞ。

香川照之氏の朗読と現代版ユダの葛藤が鳥肌ものです。 

あと若い時の剛力彩芽さんが出ているそうです。

 

青空文庫 

太宰治 駈込み訴え

 

 
 
 
劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」と「駈込み訴え」を同時に知ると裏切り者のユダがいかに主人思いの弟子かよく分かります。
 
ユダから見るとキリストは師でありながら愛する人それもかなり崇拝に近い愛し方をしています。
ユダは夢見勝ちでバカな弟子達をも食わすためにものを調達したり、賽銭をかっぱらったり、頭を下げて衣食住を提供してもらったりという役割だったそうです。
キリストをかばったり、世話を焼いたり色々進んでやっていたようですが、キリストがユダを褒めたり労ったりはなかったそうです。
でもユダ的にはキリストが美しい人であってくれればそれで良かった。
自分が認められたり、褒めてもらったり、そういうことは求めていない、ただ美しいこの人と二人静かに暮らしたかった。
非常にプラトニックで純粋な愛情でしょう。
 
そのキリストがマリアに恋をしていると感づいたり、闇市を行っている人々を追い払ったりしているのを見てユダはキリストに今までの師としての力、魅力がなくなっていると悟る。
いや、キリスト自身が自分に力がなくなったことを悟ったことを悟ったんですかね。
晩節を汚すよりも今まだ綺麗なままで死にたい。
わざと民衆に嫌われることを行い、ヘイトを集め、殺されようとしている。
そういうことなら他の誰かにキリストが殺されるくらいなら私が殺そう、引導を渡すのは自分自身だと。
深い愛故に、けじめをつけるのは自分じゃないといけないという気持ちが伝わります。
 
自分の愛に反し、ユダは最後の晩餐で他の弟子の前でキリストから「お前は裏切る」と糾弾される。
自分は愛故に行動しているのにこれがキリストの仕打ちかと。
五臓六腑に怒りがまわったユダは憎悪故にキリストを売ることを決意します。
料理屋から抜け出しキリストの情報を銀30枚で売り、自分は卑しい商人で金のために売りましたと。
元々ユダは金のためにキリストについていった。
しかしキリストは儲けさせてくれなかった、だから寝返っただけだと。
 
ユダとキリストの関係はストーカーと被害者の関係に近いのかと思います。
一方通行で独りよがり、でも純粋でただただ美しいあなたと一緒にいたい。
でもあなたがあなたでなくなってしまうなら、あなたが死のうとしているなら、私があなたを殺しましょう。
キリストからの仕打ちに耐えられず憎悪に溢れて密告したが、言い訳に見えますね。
本当に愛するが故に行動を起こした。
他に色々言っているのは後付けの、自分を納得させるためのものでしかない。
 
あなたが好き、あなたと生きたい、いじわる、殺したい、わたしが終わらせる、憎い、愛している等のさまざまな感情、行動理由が矛盾なく混在する。
ユダは凄く人間的で、人間的でありすぎるがためにこんな行動に出てしまったんではないでしょうか。
 
倫理や法律で縛られている現代だからこそストーカーやサイコパスに恐怖を覚えますが、純粋な愛というものの根源はそこにあるんじゃないですかね。
ヤンデレ界のパニオニア、愛という憎悪の表現者
それがユダであり、世界中の人が愛してやまない物語なのかもしれないですね。
 
 
 
YouTube版の駆け込み訴え、最後のやりとりをどう解釈して良いのか分からないんですよね。
撮影していたイエスのいけない動画に対する報酬だったのか、イエスの連絡先なのか。
現代版では何に対する報酬なのかが不透明でモヤモヤします。