御巣鷹山と生きる 感想
「御巣鷹山と生きる」
前回に引き続き、日航機墜落事故の本です。
著者は事故で9歳の息子、健ちゃんを亡くされ、その後、遺族会「8・12会」の事務局長になった美谷島邦子さんです。
私は今年の8月半ばにある講義で520人の命を奪った日航機123便墜落事故の話を拝聴しました。
講師は公共の交通機関での死亡事故について研究し、安全啓発をすることをライフワークにされている方で、いかに事故を起こしてはいけないか教えていただきました。
公共交通機関の利用というのは行って帰ってくるのが当たり前です。
安全であることが絶対条件の仕事であり、死亡事故の発生、それも人災の事故というのは本来あってはならないものですよね。
この話を聞いたのが8月の半ばということで、奇しくも123便の墜落事故と近い日でした。
事故の概要。
1985年8月12日。東京から大阪に向けて離陸したJAL123便が群馬県多野郡上野村の山中(御巣鷹山南方の尾根)に墜落。
乗客、乗員524名のうち520名の方が亡くなられ、4名の方が重傷を負われながらも救出された航空機至上最悪の事故の話です。
私は6年ほど前に日本航空の安全啓発センターに見学に行ったことがあり、壊れた部品や、事故当時の時刻で止まっている腕時計、メモに走り書きされた遺書などを見て胸が痛くなったことを覚えています。
「御巣鷹山と生きる」の感想ですが、遺族の方の本ということもあり、読むのがとても辛いです。
幼い9歳の息子を事故で亡くし、遺体が運び込まれた体育館で膨大な数の遺体を確認する作業や、日本航空の世話役の対応、遺族の心のケア、8・12連絡会発足など、墜落事故によって変わってしまった人々の物語が偽りなく書かれています。
事故当時、遺族のプライバシーが保護されることもなく、知り合いによる興味本位の質問や、報道に携わる記者の無神経な対応に怒りや悲しみを感じたり、立ち直る気力がなくなった方もいらっしゃったみたいです。
事故などによる精神疾患などにもほとんど理解がない状況だったそうです。
そんな中で遺族の中でお互いを支え合い、事故の原因を追求し、今後このような事故を発生させないために組織された会こそ「8・12連絡会」です。
事故の補償を勝ち取るための遺族会ではなく、あくまで立場の弱い遺族同士で支え合い、手を取り合う会です。
責任を追求することよりも事故の原因はなんだったのか、自分の子供は、親は、なぜ死んでしまったのか。
亡くなった理由も分からず、心の整理なんてできません。
遺族が一番知りたかったのはその部分なんです。
当時の法律では日本航空のトップを起訴することはできず、公の場で真実が語られることはありませんでした。
ただ、遺族の意志として声を上げ続けることで、法律が変わり法人を起訴できるようになり、更に新たな事故によって生まれてしまった遺族達の心の拠り所になる組織に成長していきます。
事故によって幸せになれる人は一人もいません。
事故があってこそこのような会ができて、事故の真実が分かる社会の地盤がつくられたり、話を聞いて救われる人がいたりすることは結果にすぎません。
贅沢なんかしなくても人は幸せになれるんです。
家族で食卓を囲んだり、
子供の成長を自分の目で見たり、
何もない日常が流れる。
そんな当たり前でなんでもない日々を過ごせることが小さな幸せで、そんな小さな幸せが集まることで大きな幸せになっていく。
帰ってくるはずだった人が帰ってこない。
こんなことが二度と起こらないように社会を変えていくことが大切です。
そのためには過去に発生した死亡事故を忘れない、風化させないことが不可欠です。
多くの情報が当たり前のように取捨選択できる時代になりました。
知りたい情報があれば検索エンジンに入力すれば一瞬でアクセスできます。
ただ、情報収集だけでは本当に大切なことは学べないと思います。
そんな時代だからこそ情報だけでなく、人の心やつながりを大事にしていきたいです。
多くの人が犠牲になった事故。
残された人にできることは事故を忘れて、なかったことにすることではありません。
辛いですが、事故を風化させないように一人でも多くの方に伝え、安全を守る心を繋いでいくことです。
この記事がその一助になれば幸いです。